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2021年10月22日

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補足・「セム的一神教」とは

ユダヤ教、キリスト教、イスラム教を日本では「セム的一神教」とまとめることがありますが、これはそちらの世界の状況に疎い日本的な発想のようです。英語で「Semitic Monotheism」と呼ばれる概念は、ユダヤ教とイスラム教をセム的とくくり、ヨーロッパのキリスト教はセム的ではないとする概念です。その三宗教は世界的には「アブラハムの宗教」という名でまとめられています。英語で言う「Semitic Monotheism」は日本人が考えるよりも根深い背景を持っているので、今回はそれについて調べたいと思います。

この記事は長いので小見出しを作りました。

ユダヤ教と一神教
キリスト教とイスラム教
中世における宗教観
比較言語学の登場
セム的一神教とは
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ユダヤ教と一神教

世界最古の一神教は、紀元前14世紀の古代エジプトでアメンホテプ4世が作った「アテン神」だと言われます。エジプトは元々多神教でしたが、紀元前21世紀から首都テーベの守護神「アメン」が太陽神「ラー」と結合した「アメン=ラー」がエジプトの神々の最高神になりました。アメンホテプ4世はそれを「アテン神」に代えただけだったので、彼の死後は「アメン=ラー」信仰に戻りました。

他にも、イランもやはり元々は多神教であったところに、ザラスシュトラがアフラ神群とマズダー(叡智)を結合して「アフラ・マズダー」という最高神を作り、これがゾロアスター教となりました。ザラスシュトラがいつの人なのは不明ですが、紀元前6世紀のアケメネス朝ペルシアの王家はゾロアスター教でした。

また紀元前6世紀メソポタミアの新バビロニア王国の最後の王ナボニドゥスは、他の全ての神々に優先して月神シンのみを崇拝したとのことです。

これらの例は、多数の神の中から最強の神を選んで、或いは新たに作って、それを崇拝するというものなので、本来の意味での一神教ではありません。本来の意味での一神教は他の神々の存在を一切認めません。それを英語では「monotheism」と言い、日本語では「唯一神教」と言って強調します。これに対して「単一神教」=「henotheism」とは多神教の中の最高神を崇拝するものです。また「拝一神教」=「monolatry」は他の神々の存在は認めつつ自分たちの主神だけを崇拝するものです。

先述の「アテン神」や「アフラ・マズダー」などの例は、正確に言うと「単一神教」または「拝一神教」であるとされます。ユダヤ教の聖書『創世記』のアブラハムの話を読んでみると分かるように、当時のカナンの地(後のパレスチナ、現代のイスラエル)に住んでいた各種の"何々びと"たちは皆それぞれ何らかの神を信じていたようです。
アブラハムの話についてはこちら

「ヘブルびと」=「ヘブライ人」であったアブラハムは「YHVH」という名の神を崇拝していました。当時カナンの地の各種の"何々びと"たちは、おそらくは、それぞれみずからの部族の神様を崇拝していたのだろうと思われます。つまり「拝一神教」です。

歴史的見解でも、後にユダヤ人となる人々は、紀元前7世紀以前には多神教であり、その後に「単一神教」に発展し、そこから更に「拝一神教」に発展した、と考えられています。
https://en.wikipedia.org/wiki/Monotheism#Judaism

ユダヤ教では、紀元前13世紀頃にモーセが出現し、『創世記』など、神がモーセに与えた言葉は全て『トーラー』=『モーセ五書』の中に書かれた、ということになっています。モーセが書き留めたとはいえ、実際のところは、古い書物や口頭伝承が今の形にまとめられたのは紀元前6世紀の「バビロン捕囚」の頃であり、エルサレムに戻ってからの紀元前5世紀頃に最終版が成立したと考えられています。
https://en.wikipedia.org/wiki/Torah

バビロン捕囚時のユダヤ人は、カナンの地で行っていたエルサレム神殿での祭儀ができなくなったので、その代りにトーラーの読み解きに集中しました。ユダヤ教で神の唯一性が絶対的になり「唯一神教」となったのも、バビロン捕囚の頃だと考えられています。またこの時期に、トーラーの伝承を忠実に守るということで、割礼や安息日といったユダヤ教独自の習慣が確立しました。すなわち今あるユダヤ教の慣習が成立したのはこの時期です。

ちなみに、ユダヤ教の宗教的指導者ラビは、トーラーに書かれていることや、今までのラビによる見解などの知識が豊富で、その知識により日常生活を含めて一般信者を導く人であり、宗教儀礼を行う祭祀ではありません。そのようなラビたちに導かれるユダヤ教を「ラビ・ユダヤ教」と呼び、これが現代まで続く普通のユダヤ教です。

キリスト教とイスラム教

バビロン捕囚は約五十年間という比較的短い間で終わり、ユダヤ人はカナンの地に戻ることができ、破壊されたエルサレム神殿を再建し、バビロン捕囚時代に更に強めた宗教理念のもとでユダヤ教の活動をし、自らの王朝も作っていました。しかし紀元後6年にその地はローマ帝国のユダヤ属州になりました。

キリスト教の創設者イエスはその頃のその地の人で、ヘブライ語での名前は「イェシュア」です。イエスはユダヤ人でありましたが、ローマ帝国時代のユダヤ属州ではヘブライ語はすでに口語として使われる機会は少なくなっており、通常話されていたのはヘブライ語と同じセム語系で国際共通語として使われていたアラム語であり、イエスもアラム語を話していたとされています。ただしユダヤ教の中ではヘブライ語は生きていたので、イエスもヘブライ語は理解していたであろう、という見解もあります。

イエスは宗教活動をしていたので彼もまたラビと呼ばれることがありました。しかし彼の方法は当時の普通のユダヤ教とは異なっていました。彼は癒しを行ったり、たとえ話を使った教えによって自らの信者を集めて、罪人をもてなし、女性たちにも友愛を示し、本来仕事を禁じられた安息日に穀物を摘むことを信者に許したりもしました。神についてユダヤ教当局と討論することもありました。そのため彼はユダヤ教当局によって逮捕され、裁判にかけられ、ローマ政府に引き渡され、紀元後30年頃に十字架刑で殺されました。
https://en.wikipedia.org/wiki/Jesus

その後イエスの遺骸が消えていたということでイエスの復活が信じられ、イエスの教えはキリスト教という形になって広まりました。最初のキリスト教ではイエスの直接の弟子と親族がエルサレム教会で活動していました。66年から、ユダヤ属州のユダヤ人はローマ帝国に対し反乱を起こしたので、ローマ帝国は135年にユダヤ属州を潰して、その地を「パレスチナ」と改名しました。ペリシテ人の地という意味です。ユダヤ人はエルサレムを追い出されたので、ユダヤ系の信者で成り立っていたエルサレム教会でもキリスト教の活動ができなくなりました。キリスト教徒は近隣のシリアでアンティオキア教会、エジプトでアレクサンドリア教会を作り、異邦人の改宗者を増やしました。

1世紀から3世紀の間、ローマ帝国では最初はキリスト教を迫害していましたが、4世紀の313年にローマ皇帝コンスタンティヌス1世が「ミラノ勅令」でキリスト教を公認しました。キリスト教の教会は、ローマ帝国の首都であるローマとコンスタンティノープルの教会が権威を持つようになり、先述のエルサレム教会、アンティオキア教会、アレクサンドリア教会と合わせて、これらがキリスト教の五本山=「Pentarchy」と呼ばれるようになりました。当時は全てローマ帝国の領土内にありました。



キリスト教では最初はキリスト(=イエス)は神の下位にあると認識されていましたが、2世紀後半頃から両者は同等とする見解が生じ、複数の"何々派"に別れました。325年、コンスタンティヌス1世は、"何々派"によるキリスト教の分裂を回避するために「第一ニカイア公会議」を開き、キリストと神の関係を討論させました。コンスタンティヌス1世は議論を積極的に誘導し、結果、キリストと神は同質とされました。

その後も議論が続き、381年にローマ皇帝テオドシウス1世が開いた「第一コンスタンティノポリス公会議」などを経て、唯一神は父である神・その子であるキリスト・及び聖霊という三つの姿を持つという「三位一体」説が正統派となっていきました。ちなみに現代でよく知られるキリスト教の各宗派である、正教会、カトリック教会、プロテスタント教会などはみな「三位一体」説です。ローマ皇帝テオドシウス1世は392年にキリスト教をローマ帝国の国教としました。テオドシウス1世は死の間際の395年にローマ帝国を東西に二分しました。

西洋史での中世の開始は、ゲルマン人の大移動で西ローマ帝国が滅亡した5世紀頃を区分点とします。中世以前の古代において、宗教とはユダヤ教かキリスト教でした。4世紀頃のキリスト教世界では、ユダヤ教を除いた他の宗教は全部まとめて「異教」=「paganism」と呼んでいました。
https://en.wikipedia.org/wiki/Paganism



イスラム教の成立は7世紀なので、西洋史の中世の時代の出来事となります。イスラム教の創始者ムハンマドはアラビア半島の都市メッカで生まれ、神からの啓示を受けて「神は一つである」と悟り、アラビア語で「神に帰依すること」という意味である「イスラーム」という宗教を613年から開始しました。イスラム教が布教される以前のアラブ社会のことを「ジャーヒリーヤ」と言いますが、そこでは多神教が一般的でした。当時のアラブ社会は、西はキリスト教の東ローマ帝国、東はゾロアスター教のササン朝ペルシアに挟まれていました。ユダヤ人はその両国に散って住んでいました。アラビア半島南端のイエメンでは、521年から525年の間だけは、ユダヤ教徒であるユースフ・アスアルが実権を握ってユダヤ・ヒムヤル王国を創っていた時期もありました。またアラブ人の中にもユダヤ教やキリスト教を信奉する部族がいました。

ムハンマドはユダヤ教やキリスト教からの影響を受けて自分たちの新たな宗教を作りました。イスラム教の聖典クルアーンはムハンマドの生前から多くの書記によって記録されたものです。その中に「クルアーンは聖書の正しさを証明するためにある」という趣旨の言葉が数多くあるそうです。聖書とは具体的には、ユダヤ教の「タウラート」(モーセ五書)と「ザブール」(詩篇)、そしてキリスト教の「インジール」(福音書)です。ムハンマドはアラビア半島の人々をイスラム教徒にすることに成功し、その結果アラビア半島の各部族は国としてまとまるようになりました。

632年にムハンマドが亡くなった後も、彼を受け継いだ四人の正統カリフ時代の642年にササン朝ペルシアを滅ぼしてその全土を征服し、また東ローマ帝国からもシリア、パレスチナ、エジプトの領土を奪いました。よって、アンティオキア、エルサレム、アレクサンドリアの各キリスト教会はイスラム帝国領に存在する形となりました。東ローマ帝国領にはコンスタンティノープル教会だけが残り、ローマ教会はフランク王国による756年の「ピピンの寄進」によりローマ教皇領を獲得し、西欧世界の中の領邦国家的な立ち位置を得るようになります。

イスラム帝国は、661年から始まるウマイヤ朝時代には、東はインダス川、北方は中央アジアのソグディアナ(トランスオクシアナ、マー・ワラー・アンナフルとも呼ばれる、アム川の向こう側の地域)まで、西はモロッコまで続く北アフリカを支配し、8世紀になっての711年にはキリスト教の西ゴート王国を滅ぼしてイベリア半島を征服しました。732年にはトゥール・ポワティエ間の戦いがあり、ウマイヤ朝はフランク王国内まで侵攻しましたが失敗しました。アッバース朝となった後は、751年に中央アジアにおけるタラス河畔の戦いで中国を支配する唐と激突しました。



中世における宗教観

西洋史での中世(Middle Ages)は、ゲルマン人の大移動で西ローマ帝国が滅亡した5世紀頃から始まり、東ローマ帝国がオスマントルコ帝国によって滅亡する15世紀後半まで、とされます。当然ながら時代の流れはきっちり区切れるものではないので、区切り方には諸説あります。

5世紀から15世紀後半まで続いた
中世では、11世紀の末から13世紀末までには断続的に十字軍があり、キリスト教徒はイスラム教徒を敵として戦いました。同時に西欧に住んでいたユダヤ人は迫害されました。14世紀にはペストの大流行があり、この時も差別感情からユダヤ人が迫害されました。

中世の後の近世(Early modern period)は、1492年のコロンブスによる新大陸上陸と1498年のヴァスコ・ダ・ガマによるインド航路開拓などで始まる大航海時代を区分点として16世紀から始まり、1789年のフランス革命及び1799年のナポレオンの権力掌握などが起こる18世紀末に終わるとされます。これもまたきっちり区切れるのものでなく、近世の後の近代(Late modern period)は産業革命が起こる18世紀半ばから始まるとする説もあります。

中世と近世をまたいだ形で14世紀から16世紀のルネサンス時代があり、近世となった16世紀にはキリスト教での宗教改革、17世紀後半から18世紀の間の啓蒙時代がありました。

以降の記事は、ギイ・ストロムザ著『セム的一神教という発想:ある学術神話の興亡』という本を要約した下記のサイトから抽出し、説明的な補足を加筆してまとめたものです。
https://oxford.universitypressscholarship.com/view/10.1093/oso/9780192898685.001.0001/oso-9780192898685-chapter-2

およそ8世紀から18世紀までの丸々千年間、キリスト教の思想家たちは、宗教とは四つ、すなわち、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教と、その他の「異教」だと考えていました。

キリスト教は実際ユダヤ教の中から生まれ、イスラム教は既に普及していたユダヤ教とキリスト教という背景があってこそ出現しました。これら三宗教は何が違うかと言うと、キリスト教とイスラム教は改宗さえすれば全人類が共有できるという普遍主義であり、ユダヤ教は神と契約したユダヤ人の子孫だけが対象となる特定主義である、という違いです。またイスラム教とユダヤ教の両者は、キリスト教の「三位一体」を"純粋な一神教"とみなさず、キリスト教徒を偶像崇拝にしている、と非難していました。つまり、最も新しいイスラム教は普遍的且つ"純粋な一神教"ということで、"いいとこ取り"の宗教だったのです。

中世においては、キリスト教国が先進国でイスラム教国が後進国というのではなく、逆に交易で発展していたのはイスラム教国でした。イスラム教徒は、内陸経路では中央アジアやアフリカ内陸に進出し、海上貿易でインドさらにはその先の東南アジアや中国との交易を行いました。それに従ってイスラム教は、古代文明発祥地であったインドや中国を除き、それ以外の中央アジアやアフリカ内陸部、インドネシアに広まりました。キリスト教国はユダヤ人の力を借りてしか、交易のおこぼれにあずかれませんでした。

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長い中世の時代を通して、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教はどれも皆、一神教を自己認識の本質としていました。それぞれが自らを神の啓示の唯一の真の相続人だと自認し、互いに論争をしていました。

イスラム教とユダヤ教が非難する「三位一体」に関しては、キリスト教の側からは、ユダヤ教とイスラム教は「三位一体」という驚くべき複雑さへの理解を欠いている、両者は粗っぽく厳格すぎると見えていました。そもそも唯一神からの真のメッセージはひとつだけの筈です。なので、その他ふたつの宗教は、似ているからこそ、元々のメッセージが改竄されたものだと考えられました。まさに悪魔というものは神の模倣者であり、虚偽と真実を紛らわしくする類似性を示してくるものだと認識されました。唯一神という三者に共有された真理と、他の二者は宗教的詐称であるというふたつの考えは、実際には同じコインの両面でした。

ただし、欧州における18世紀の啓蒙時代の時よりも、むしろ中世の時の方が三宗教の遺伝的なつながりは、学者たちの間ではよく知られていました。ライバルの姉妹宗教が同じく唯一神の概念を持っていて、自分たちの宗教と類似点があると認識していた著作者たちは、それぞれの宗教の中にいました。そのような人々は三宗教の相違点だけでなく、類似点もきちんと見極めていました。日本人から見ると、中世においてはキリスト教徒とイスラム教徒とユダヤ人は互いに敵対していただけだろうと思うのですが、そうではなかったということです。

中世では宗教間の知的交流は広大なネットワークでつながっていて、その論争は文献に残されていています。その中には相手側の宗教に関する知識もちゃんと記述されていました。

具体的には、8世紀のシリア語文献に、後述する「三つの指輪」の話が初めて見られます。この文献はネストリウス派キリスト教の総主教ティモテオス1世とイスラム帝国アッバース朝三代目カリフの間での討論を記述したものと考えられています。ネストリウス派とは、「三位一体」は認めるものの、聖母マリアを「神の母」と呼ぶことを否定し、ローマ帝国の東西分裂後の431年に東ローマ帝国において開催された「エフェソス公会議」において異端とされたので、活動を東方に移動させていた派閥です。
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中世での宗教間の知的交流としては他にも、12世紀初頭、イスラム王朝に支配されていた頃のスペイン・アンダルシア地方のユダヤ人思想家イェフダ・ハレヴィはユダヤ・アラビア語で『ハザールの書』(ヘブライ語ではSefer ha-Kuzari)という書物を書いてハザールの改宗の様子を描写しました。

ハザールとは、7世紀から10世紀にかけて黒海とカスピ海の北側の地域にいたテュルク系民族で、その支配者層は、740年から920年の間のある時点でユダヤ教に改宗しました。『ハザールの書』では、ハザールの王は、哲学者、キリスト教の賢人、イスラム教の賢人にそれぞれ質問するものの満足した回答を得られず、最後に質問したユダヤ人の賢人だけが彼の精神的な探求心を満足させたのでユダヤ教に改宗した、というお話が書かれています。ちなみにこの著作の正式題名は『軽蔑された宗教を代弁する反駁と証明の書』というものです。

同じく12世紀のフランス人ピエール・アベラールは、『哲学者、ユダヤ人、キリスト教徒の対話』という本の中で、哲学者にイスラム教の代弁をさせています。

これらの本で重要なのは、どの宗教が論戦に"勝った"のかというよりも、三宗教の間で理性的合理的な哲学論議があったという事実です。

13世紀のバグダッドのユダヤ人イブン・カムーナは、『三つの宗教に関する議論の再検討』という本を書きました。その本の中で彼はイエスとムハンマドの両方に対して同情的な姿勢を示していました。しかし彼の意図はイスラム教徒や他のユダヤ人には通じなかったようです。

同じく13世紀マヨルカ島のキリスト教徒ラモン・リュイはカタルーニャ語で『異教徒と三賢人についての書』を書きました。マヨルカ島は、13世紀アラゴン王国のハイメ1世がイスラム王朝のムワッヒド朝から奪い取ってキリスト教徒を移住させました。なのでマヨルカ島には、イスラム教徒、ユダヤ人、キリスト教徒が共存して暮らしていました。ラモン・リュイの両親はアラゴン王国に含まれていたカタルーニャ地方からマヨルカ島に移住しました。『異教徒と三賢人についての書』は、異教徒が、ユダヤ人、キリスト教徒、イスラム教徒にそれぞれの宗教を説明するように頼む、というお話です。この本にはユダヤ教とイスラム教についてもかなりの知識が反映されていました。ただしその異教徒が最終的にどの宗教に改宗したかは書かれていません。

そしてついに「三つの指輪」の話が、14世紀のイタリア・ルネサンス期の作家ボッカッチョが書いた『デカメロン』の「一日目:第三話」に登場します。この話では、エジプトを支配したアイユーブ朝のスルタンであるサラディンが、ユダヤ人のメルキゼデクに、三つの宗教の中のどれが本物なのか尋ねます。実は緊急に財源が必要となったサラディンは、これを口実に言いがかりをつけて、金持ちのメルキゼデクから財産をゆすり取ろうとしていたのでした。それを察したメルキゼデクは上手いたとえ話で切り抜けました。

昔、大金持ちの一族が非常に美しい高価な指輪を有していて、それを代々跡継ぎとなる息子に授けて相続人の証としていました。ある代の父親には三人の息子がいました。三人の息子たちは各自それぞれ相続人になりたい旨を高齢の父に申し出ました。三人とも同じく愛していた父は、それぞれに対して指輪を渡すと約束してしまいました。困った父は、細工職人に本物そっくりの指輪をあとふたつ作らせました。三つになった指輪は制作者本人が見ても全く見分けがつかないほどでした。父は三人の息子それぞれにこっそり一個ずつ指輪を与えました。父の死後、息子たちはそれぞれ自分が相続人だと主張しましたが、どれが本物の指輪なのか区別できないまま今に至る、とのことです。

同様に、三つの宗教もそれぞれ自分が本物だと考えていて真相は分からないというのがメルキゼデクの答えでした。サラディンは関心し、自分の最初のたくらみを明かしました。メルキゼデクはサラディンが必要とする額を十分貸し付けました。後にサラディンは全額返済するとともに、メルキゼデクを生涯の友とし、彼に高い地位を与えた、というのが『デカメロン』にあるお話です。

この「三つの指輪」のたとえ話は、先述の8世紀のシリア語文献に初登場している話でしたが、似たような話は、13世紀前半のフランスのドミニコ修道会のブルボンのステファヌスという人が書いた『さまざまな説教可能な資料に関する論文』の中にもありました。しかしその結末は異なり、最も愛する者に渡された真の指輪が明らかになるという話でした。他にも13世紀末の北フランスで作られた作者不詳の詩『Li dis dou vrai aniel』にも同様の結末で話が出ているとのことです。時期的には十字軍末期の時代に重なります。『デカメロン』と同じく真偽は不明という結末の話はイタリアにのみ他に三つ存在し、いずれも主人公はユダヤ人であるとのことです。

三宗教の交流に関して話を戻すと、ルネサンス時代、15世紀のドイツの宗教家ニコラウス・クザーヌスは、オスマントルコ帝国が東ローマ帝国の首都コンスタンティノープルを征服した直後の1453年に『信仰の平和』という本を書きました。この話では天国においてキリスト教徒、ユダヤ人、イスラム教徒が宗教的合意に至ります。彼らは完全な力を与えられ、共通の宗教的中心地であるエルサレムに集合して単一の信仰を授けられ、そこで永遠の平和を確立、この平和のために万物の創造主よ永遠に栄えあれ、アーメン、で終わるとのことです。

16世紀となると近世はもう始まっていたのですが、フランスのギヨーム・ポステルは『秘密の鍵』という本で、アブラハムの律法を遵守すれば、ユダヤ人、キリスト教徒、イスラム教徒は等しく救われると主張しました。同様に、18世紀オスマントルコ帝国のアブドゥルガニー・ナーブルスィも、イスラム教に改宗しなくても、ユダヤ人とキリスト教徒は心に信仰を持っていれは来世で救われると主張しました。つまり、この時代は自分の宗教でしか救われないとお互いが信じているのが普通であったのに、そういう考え方をしなかった特筆すべき人がどちらの側にもいた、ということです。

中世においては、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教は互いに関係性のある宗教だという、現代から見ると当然ながら正しい理解がありましたが、逆に18世紀になると、そのような関係性は一般的には明白でなくなりました。
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そのような時代背景においても、18世紀アイルランドのジョン・トーランドは1710年以降から『キリスト教とユダヤ教、ムハンマド教』などの本を書き、ユダヤ人の地位を向上させるために、キリスト教はユダヤ教にルーツがあるとする議論を俎上に上げました。フランスの哲学者モンテスキューも1721年に最初は匿名で書いた『ペルシア人の手紙』で、キリスト教とイスラム教はユダヤ教という茎から出たふたつの枝だとして言及しています。

そして1781年にドイツの劇作家レッシングは『賢者ナータン』という劇を書き、その中で『デカメロン』でも用いられた「三つの指輪」のたとえ話を紹介しました。『賢者ナータン』のモデルは、同時代のユダヤ人モーゼス・メンデルスゾーンだとされます。モーゼス・メンデルスゾーンは、ユダヤ教の啓蒙主義「ハスカーラー」の第一人者です。レッシングの劇ではユダヤ人が非常に高貴な人物として描かれています。

「三つの指輪」のたとえ話、すなわち、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教には密接な関係があるという話は、中世では明白に知られていた事実であったものの、18世紀の終わりになると、もはやレッシングのような思想は当時の典型とは言えず、彼は例外的な人でした。それでもまだかろうじて三つの宗教は同価値であるというたとえ話が通用していた証拠にはなります。

比較言語学の登場

16世紀からの大航海時代を経て、近世の欧州では世界に対する見識が急激に広まり、世界の様々な宗教に関しても新しい知識が広く普及しました。今までは「異教」とひとくくりにしていた概念は、アメリカ大陸の民族、インド人、中国人、日本人などの様々な民族の宗教に対する知見を得ることで一新されました。また世界の民族への関心は「比較言語学」の出現にもつながりました。



比較言語学の始まりは、1786年、イギリス人ウィリアム・ジョーンズが、ギリシャ語やラテン語という欧州古典語及びゴート語とケルト語といった欧州の古代語はサンスクリット語と同じ起源であり、古代ペルシャ語もその仲間であると発表したことにあります。ただしそれ以前の1637年にオランダのボクスホルンという人が、ペルシア語とオランダ語・ドイツ語・ラテン語・ギリシア語がひとつの祖語に由来するという説を述べ、後にサンスクリット・スラブ・バルト・ケルト語を加えていました。印欧語以外では1770年にハンガリーのシャイノヴィチ・ヤーノシュによりハンガリー語とラップ語の比較研究がありました。

このように17世紀から18世紀の啓蒙時代、すなわち欧州においてキリスト教という従来の権威から離れ、理性によって世界を把握しようとした時代に「インド・ヨーロッパ語族」及びそこから予想される「印欧祖語」という概念が多発的に生じたのでした。ウィリアム・ジョーンズによる発表はそれを世間に広めるきっかけとなりました。

啓蒙時代の芸術は理性的で普遍的な古代ギリシア・ローマ文化を模範とする古典主義でした。その後の18世紀末から19世紀前半はロマン主義の時代で、ロマン主義の芸術は情緒を重視して自然や超理性的なものへ傾倒するようになり、それは民間伝承への着目や民族意識の高揚へと発展しました。

1822年にドイツのヤーコプ・グリムは、印欧祖語からゲルマン祖語へ発展した子音推移「グリムの法則」を発見し、比較言語学が具体的に進展しました。印欧祖語からの音韻推移を示す法則はその他にも多数発見され、印欧祖語やインド・ヨーロッパ語族という概念ははっきりと明示的なものになりました。インド・ヨーロッパ語族という仲間意識と、同じ語族の中でもそれぞれの言語の個性を背景とする民族意識は、同時代の表裏の関係でした。

その時には既に、ユダヤ教とイスラム教はキリスト教に近いという認識は、宗教が世俗化する過程でほとんど失われていました。欧州の文学者たちはキリスト教を欧州の宗教だと認識し、それが中東起源だという事実を忘れ去っていました。特にドイツ語圏では、インド・ヨーロッパ語族の発見とロマン主義運動から、"我々はアーリア人種である"という発想が広まりました。
https://oxford.universitypressscholarship.com/view/10.1093/oso/9780192898685.001.0001/oso-9780192898685-chapter-4

アーリア人とは古代インドの最高階級バラモンだった民族です。元々は中央アジアのステップ地帯に住んでいてインドに侵入し、先住民族のドラヴィダ人を支配するためにヴァルナという身分制度を作り出し、自らを最高位の司祭・僧侶階級に置き、それがインドのバラモン教になりました。アーリア人とは、ある民族集団ではあるのですが、"アーリア人種"という概念は現代では否定されています。

しかし当時は、インド・ヨーロッパ語族は"アーリア人種"であると考える人種学の出現につながりました。19世紀に生じた人種学は人種の持つ性質を固定的に決めつけるというもので、そこに証明は無く、科学の名を騙った差別主義にすぎませんでした。そのため人種学という学問もまた現代には存在しません。

ユダヤ教のヘブライ語とイスラム教のアラビア語は一見して似てるので、聖書のノアの息子のひとりの名にちなんでセム語族と名付けられました。当時は"セム人種"とも言われました。
セムについてはこちら

中世までは、世界の交易はイスラム教徒やユダヤ教徒に牛耳られていて、キリスト教徒は彼らより格下とは認めてなかったとは思いますが、敵対関係としては同等だという認識があったと思います。大航海時代を経て交易に関する劣等感が消えると共に、産業革命で完全に優位に立つようになった欧州のキリスト教徒は、インドではバラモンになった我らアーリア人種はセム人種とは違うんだという歪んだ優越意識を持つようになったのだろうと思います。

欧州在住のユダヤ人は中世以来ずっと非キリスト教徒ということで差別迫害されていましたが、フランス革命を経て「自由・平等」という理念が生まれ、ユダヤ人も平等な市民権を得るようになりました。19世紀の欧州のユダヤ人は欧州社会に溶け込んで生活し、お金持ちの人も目立ちました。そのような時代に生じた人種学は新たな差別感情の引き金を作り、ユダヤ人は最も身近な差別対象とされました。尚、このブログでは「反ユダヤ主義」という用語で統一していますが、19世紀以降の人種説に基づく「反ユダヤ主義」を英語では「antisemitism」=「反セム主義」と呼びます。

セム的一神教とは

英語で「Semitic Monotheism」と呼ばれる概念は、ユダヤ教とイスラム教をセム的とくくり、ヨーロッパのキリスト教はセム的ではないとする概念です。この概念の先駆者となる人は、19世紀半ばのフランス人エルネスト・ルナンだと考えられています。「セム的一神教」という概念の背景には、ヨーロッパの諸言語と古代インドのサンスクリット語が似てるという発見から発展した比較言語学があります。
https://www.amazon.co.jp/Idea-Semitic-Monotheism-Rise-Scholarly/dp/019289868X

以降の記事は、ギイ・ストロムザ著『セム的一神教という発想:ある学術神話の興亡』という本を要約した下記のサイトから抽出し、説明的な補足を加筆してまとめたものです。
https://oxford.universitypressscholarship.com/view/10.1093/oso/9780192898685.001.0001/oso-9780192898685-chapter-6

エルネスト・ルナンはセム語派の言語に詳しい言語学者であり、宗教史家、哲学者でもありました。彼は1855年に『セム系言語の一般史および比較体系』を出版しました。その本の中で彼はセム語族について、彼らは神話も叙事詩も科学も哲学も創作物語も造形芸術も市民生活も何一つ持っていなかった、と主張しました。それらの要素はヨーロッパ人が生活文化に不可欠だと考える分野なのですが、セム語族はそういったものを一切発展させなかったというのが彼の主張です。

特に宗教に関しては、彼らが住む砂漠は自然環境として単調なので、豊富な神が存在する神話が発生しなかったと彼は考えました。今の感覚では差別的な発想ですが、当時のフランスでの彼はヴィクトル・ユーゴーと並ぶ知識人でした。ルナンは宗教を人類が原始時代から持つ哲学だと考えていました。彼にとってアジアは宗教の祖国であり、欧州は合理的で内省的な思考、すなわち哲学と科学の祖国でした。将来は科学が現代人の新しい宗教になるだろうと彼は予見しました。

ルナンはまた、欧州の宗教であるキリスト教は東方地域のセム語族の宗教であるユダヤ教とイスラム教とは隔たっていると認識していました。19世紀半ばごろの欧州では既に"人種学"という学問が当たり前のようになっており、ルナンもまた"セム人種"や"アーリア人種"という呼び方を使っています。彼の場合は差別感情でそう言っているのではなく、当時はそういう言い方が普通でした。

ルナンは、比較宗教学の研究者フリードリヒ・マックス・ミュラーによるインド・ヨーロッパ語族(すなわちアーリア人)の神話研究に影響を受けて、彼自身はセム語族の宗教の研究に取り掛かりました。しかしその試みは失敗したと言えるでしょう。その理由は彼自身の認識にあります。欧州に広まったキリスト教は当然ながら"セム起源"でしたが、彼にとってのキリスト教は欧州の"アーリア人"の宗教であり、ユダヤ教とイスラム教は今生き残っているセム語族としてのユダヤ人とアラブ人の宗教でした。現代から見ると彼自身の認識そのものが不正確なので彼の試みは失敗だと言えるのです。

彼の定義では、セム語族の宗教とはセム語を話す人々の間で生まれた宗教ということでした。従って、欧州語で教育を受け、周囲の環境に同化した西欧のユダヤ人は、彼によれば、"セム人種"ではありません。またこの定義によれば、イスラム教はイラン人、トルコ人、マレー人など非セム語族の間にも広まっていますが、そんなことは全く問題ではないということになります。

ルナンは、神の単一性という発想はセム語族の発明だと認めます。とは言うものの、彼はセム語族を高くは評価していませんでした。彼は、彼らは自然が貧しい乾燥地域に住んでいたから劣った種族なのだと決めつけていました。単調な砂漠気候では、政治、神話、芸術、哲学などの多様な分野での創造性は発達しないだろうと彼は考えました。セム語族による人類への貢献は宗教のみ、すなわち、非常に特殊な種類の宗教である一神教の発明のみと考えました。"アーリア人"は多神教だったので、これに関してルナンは「砂漠の精神」と「森の精神」という表現で対比しました。

セム語族に神話が無いという発想は、イタリアの哲学者ジャンバッティスタ・ヴィーコが1724年に出版した『新しい学』の中で「神話はイスラエルを除く古代世界のすべての人々に存在する普遍的な現象である」と主張していたのを彼は読んでいたからであろう、とのことです。

ルナンは、キリスト教はユダヤ教から生じたという事実は認めていました。なので彼は「私たちフランス人は、私たちの言語ではローマ人、私たちの文明ではギリシャ人、そして私たちの宗教ではユダヤ人です」という言葉を残しています。しかし彼にとってのユダヤ教はイエス出現後はその存在意義を失い、もはや本格的な宗教ではなくただの宗派となっていました。欧州のキリスト教は近東起源の束縛とは共通点がほとんど無かったと彼は考えていました。

ルナンは、当時のキリスト教徒たちが普通に持っていた考え、すなわち、イエスを殺したのはユダヤ人だという認識を持っていました。しかし彼自身は決して反ユダヤ主義には走りませんでした。若い頃のルナンは、むしろ逆に、時の政府がユダヤ人の高等師範学校入学を禁じようとした時には声を大にして反対しました。歳を取ってからも、1881年に東欧とロシア帝国で反ユダヤ主義のポグロムが発生した時、ルナンはヴィクトル・ユーゴーと共に抗議の署名を行いました。また彼の本を出版したミシェル・レヴィはユダヤ人でした。この人はミシェル・レヴィ・フレール社という出版社の創設者であり、デュマ、バルザック、ユーゴー、サンド、フローベール、ボードレール、スタンダールといった19世紀後半フランスの大作家たちのほとんどを出版していました。

ルナンと同時代のドイツにはアーブラハム・ガイガーというユダヤ人がいて、イスラム教の経典クルアーンの大部分はユダヤ教のラビ文学から取られているという論文を1833年に著しました。その後更に発展させ、ユダヤ教はキリスト教とイスラム教の基であり、キリスト教とイスラム教はユダヤ教の一神教を世に広めるための手段にすぎないと主張しました。ガイガーが最初にイスラム教に対するユダヤ教の影響を論じた時は喝采したドイツのプロテスタント神学者たちは、同じ事をキリスト教に対しても論じた時は大反発しガイガーを中傷しました。

しかしルナンはガイガーの研究を認め、その上でイエスを適切に理解する研究を始めました。ルナンは1863年に『イエス伝』を書き、"奇跡"などの非科学的伝説を排除した上で人間として素晴らしいイエス像を描き出しました。この本は宗教関係者を除く多くの人々から大喝采を受けました。しかし、この本の中の古代ユダヤ教に対する扱いはユダヤ人学者たちから批判されました。

ルナンは、一神教を発明したことは「ユダヤの奇跡」だと表現しましたが、同時に「ギリシャの奇跡」を強調しました。人類の最初の奇跡はユダヤの奇跡でしたが、ギリシャの奇跡はそれに匹敵するものだとしました。ギリシャの奇跡は歴史上一度しか生じていなく、それ以前には見られなかったし、今後も二度と見られることは無いであろう唯一無二のものであり、しかもそれは永遠に継続する永遠の美をもたらし、地域的に見ても世界的に見てもひとつの欠点も無い、というのが彼の認識でした。

ルナンはアーブラハム・ガイガーを含めたユダヤ人の学者たちと書簡交換などの交流をしていました。特にザロモン・ミュンクとは親しいながらも互いに意見をぶつけ合った間柄でした。1859年にザロモン・ミュンクは、ルナンの「セム的一神教」という概念、つまり、一神教の発明はセム語族による人類への貢献だとする見解を批判しました。

ルナンは、キリスト教はユダヤ教から生じたという事実は認めていましたが、ユダヤ教を本当の意味で引き継いだのはイスラム教であると考えていました。彼はイスラム教を宗教として懸命に理解しようと努めていましたが、 同時代人の欧州人のほとんどと同じように彼もまたイスラム教に偏見を抱いていました。彼は「イスラム教は人間の要素の中でも低レベルもしくは凡庸な組み合わせの産物だ」などと書いていました。彼はむしろ「反ユダヤ主義」というよりは、「反イスラム主義」でした。彼はアラビアには神秘主義や神話が全く無いとし、それはセム語族には神の複雑さを想像することができなかったからだと結論しました。1862年の講演では「ヨーロッパ文明を世界に広めるための必要条件はセム的なものを破壊する事、イスラム教の神権政治を破壊することである」だの「イスラム教はヨーロッパの最大の敵対者」だの、現代から見ると問題発言を色々と言いました。

当時のフランスは、1830年からアルジェリアの征服活動が始まり、1848年に植民地化、その後はアラブ人とベルベル人の絶え間ない反乱を軍事的に抑え込む、という状況が続いていました。当時、ルナンやヴィクトル・ユーゴーなどのほとんどのフランス知識人は、フランスによるアルジェリアの征服はアフリカに文明をもたらすと信じていたのでした。

ルナンは、イスラム教はユダヤ教とキリスト教の両方の影響から作られたという認識ではなく、イスラム教徒が自ら主張するように、イスラム教は本来のアブラハムの宗教に回帰したのだ、という見解を支持していました。ルナンにとってそれはイスラム教は創造性が低いという結論になりました。ルナンは"聖地"すなわちパレスチナに巡礼者として訪れたことがあり、当時その地はオスマントルコ帝国領で荒廃していたのですが、その荒廃の原因をオスマントルコ政府ではなく、イスラム教のせいだと考えました。

その後の1860年10月にルナンはドゥルーズ派とマロン派が激しい戦闘をしている時期にレバノンに行きました。ドゥルーズ派とは、イスラム教から派生してヒンズー教とギリシャの哲学の側面を組み込んで10~11世紀のエジプトで成立した宗派です。マロン派はキリスト教であり、マロン典礼カトリック教会とも呼ばれ、レバノンを中心に信者がいます。19世紀になると、レバノン山地でドゥルーズ派とマロン派が激しく対立、フランスがマロン派を支援、イギリスがドゥルーズ派を支援して紛争となりました。1860年5月にはマロン派住民が数千人虐殺されたので、フランスは軍事介入したという経緯があります。ルナンはこの見聞からも1861年にはすっかり反イスラムとなりました。

ルナンは1883年の講演でイスラム教は宗教として常に科学と哲学などあらゆる種類の自由思想を迫害してきたと主張しました。もちろん彼はアラビア哲学やアラビア科学の存在を知っていましたが、それは言語のみがアラビア語であり中身は純粋にギリシャのものだと考えていました。ルナンの考えではイスラム教はセム語族の宗教だから本質的に不寛容なのだということでした。その結果イスラム教は自らが征服した国々を合理的精神文化から閉ざされた場所に変えてしまったと彼は考えました。

ルナンの考えではセム語族の文化は欧州文化のような豊かさが無く、彼らの住む砂漠は単調な風土だから多様な神が生まれなかった、そのため一神教が生じ、その結果として預言というものも生じたというものでした。一神教と預言は直感から生まれた革命的な発想だと彼は認めていましたが、結局彼にとっての一神教とは深い宗教性が持つ豊富さを過度に単純化したものだというものでした。彼にとってイスラム教はその最も極端な例であり洗練というものが全く欠如していると感じていました。彼は「セム語族は神の多様性を決して理解できない」と述べていました。ユダヤ人もイスラム教徒もイエスの「甘美なる愛の神学」は理解することはできないんだと彼は考えていました。

彼はキリスト教をセム的ユダヤ的な起源から切り離そうと常に考えていました。イエスは出自こそユダヤ人でしたが、ユダヤ教を継承したのはキリスト教ではなくイスラム教だと彼は考えました。キリスト教は自らをヒューマニズムに変貌させたので、それによりキリスト教は未来への宗教となり、人類の宗教になったのだということです。その事は元を辿ればセム語族が人類に与えた贈り物だとは認めていました。

当時欧州ではイスラム教徒の学者はほとんど活動していなかったので、ルナンの考えに対する彼らの意見は知ることができません。唯一、著名なイランの思想家ジャマールッディーン・アフガーニーはルナンに反論したイスラム教徒でした。アフガーニーはヨーロッパを旅しながらイスラム国家の改革を考えました。彼は「汎イスラム主義」を唱え、オスマントルコ帝国やカージャール朝イランの専制体制を批判し、法治国家の立憲制が優れていると考えていました。

1883年、アフガーニーはルナンのイスラム教に対する誤解とイスラム教徒に対する偏見に対する反論を発表しました。彼は、イスラム教は科学を促進しなかったと認めたものの、それは全ての宗教に当てはまることなのでイスラム教だけに固有のことではないと主張しました。中世においてギリシャの科学と哲学が忘れ去られるのを防いだのはアラビア語の翻訳があったからであり、それが後になって欧州のキリスト教国に伝わったというのは実際、事実でした。アフガーニーの主張では、イスラム教徒の間で現在見られる科学に対する否定的な態度は、彼らが発展してきた歴史的および文化的な状況から由来するものであるので、それは将来克服することができるだろう、ということでした。

反ユダヤ主義

欧州の啓蒙主義以来、モーゼス・メンデルスゾーンやアーブラハム・ガイガーなど、ユダヤ教内部でも改革運動がありました。

ルナンの「反イスラム主義」はセム語族全体に対する誹謗と言えるので、ユダヤ人からの反感を招きました。「Antisemitismus」すなわち「反セム主義」という用語は、偏ったルナンの主張に対して、ボヘミアの著名なユダヤ教の学者モーリッツ・シュタインシュナイダーが名付けたものでした。英語で「antisemitism」となるこの単語をユダヤ人にだけ適用し、内容的に「反ユダヤ主義」の意味となったのは、1880年代以降、ドイツの政治活動家ヴィルヘルム・マーがそのように使用してからでした。
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ヴィルヘルム・マーは、「諸国民の春」とも呼ばれる「1848年革命」でドイツの民族的統一が失敗した後にはプロイセンが中心となるドイツ統一を支持しました。その後彼は数回結婚しました。1854年の一回目はキリスト教に改宗したユダヤ人家庭の娘と結婚しましたが離婚、二回目はユダヤ人女性と幸せな結婚をしましたが一年後に彼女が死亡、三回目は彼女の両親がキリスト教徒とユダヤ人という女性でしたがこの結婚も1877年の離婚で終わりました。最後はドイツ人女性と結婚しました。

ヴィルヘルム・マーは当初から反ユダヤ的でした。ドイツ統一に当たっては、ユダヤ人その他の非ドイツ人はドイツ民族に同化しない限りは仲間に入れないという主張に同調していました。彼はそのような考え方を更に強め、ユダヤ人はドイツ民族に同化するだけじゃ駄目だと思うようになりました。ドイツ人とユダヤ人は長年争っていたが結局ユダヤ人が勝ってしまった、すなわち、ドイツにおける自由主義からユダヤ人解放運動が生じてユダヤ人差別は無くなったが、それによりユダヤ人はドイツの金融や産業を支配してしまった、と彼は考えました。しかもこの争いはユダヤ人とドイツ人が異なる"人種"であることに基づいているので、それは同化では解決できないというのが彼の結論でした。彼はさらに過激に、ユダヤ人の勝利は最終的にはドイツ民族の終焉で終わると考えました。1879年に彼は「反ユダヤ主義連盟」=「Antisemiten-Liga」を設立し、これはユダヤ人の強制退去を提唱したドイツで最初の団体となりました。このような考え方が後のナチス・ドイツの時代へとつながるのですが、この時点でのドイツでの通常の考え方はそこまで過激ではなく、1891年に設立された汎ゲルマン主義の「全ドイツ連盟」では、ユダヤ人であってもドイツ文化に完全に溶け込んでいるならば会員資格が認められました。
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フランスでも、1870年の「普仏戦争」でドイツに敗北したことをきっかけに状況が悪化し、"人種論"に基づく反ユダヤ主義の出現を招きました。1889年にフランスの「反ユダヤ主義連盟」=「Ligue antisémitique de France」がエドゥアール・ドリュモンの主導で創設されました。また1894年にはドレフュス事件が起こりました。ドレフュス事件を取材した新聞記者のテオドール・ヘルツルは「シオニズム運動」を開始しました。ドレフュス事件は第一次世界大戦前の1906年に解決し、ドレフュスは無罪となりました。それと同時にフランスの反ユダヤ主義も急激に衰退しました。

ドイツでは第一次世界大戦中までユダヤ人の状況は安泰でした。第一次世界大戦後のヴァイマル共和政の初期の頃にユダヤ人に対する暴力がありました。その頃、世界的な偽造文書『シオン賢者の議定書』が出回ったことも要因でした。1920年代の後半になるとヴァイマル共和政も安定して繁栄してきたので、反ユダヤ主義は減少しました。しかし1933年にヒトラーが権力を掌握するとすぐに反ユダヤ主義が広まりました。ナチス・ドイツが"アーリア人種"という概念に固執していたことは周知の事実です。

まとめ

ユダヤ教の聖書で使われるヘブライ語、イスラム教の聖典クルアーンで使われるアラビア語、キリスト教のイエスが話していたというアラム語、その全てはセム語系と名付けられた言語なので、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教を日本では何の疑問も無く「セム的一神教」とまとめることがあります。

ところが英語で「Semitic Monotheism」と呼ばれる概念は、ユダヤ教とイスラム教をセム的とくくり、ヨーロッパのキリスト教はセム的ではないとする概念です。この単語の根底には、ユダヤ人やアラブ人は"劣ったセム人種"で、反対に我々ヨーロッパ人は"優れたアーリア人種"なのだという、近代ヨーロッパで生じた非常に歪んだ自意識があります。その辺の事情に疎い日本人がユダヤ教もキリスト教もイスラム教も同じ一神教でしょと思って気安く「セム的一神教」と言ってしまうのは、現代の国際感覚では通用しない用法です。その場合は「アブラハムの宗教」と言い換えるのが妥当なのですが、キリスト教などに疎いとアブラハムって何?という感じなのでなかなか広まらないのかもしれません。

でも本当は日本人の素朴な感覚の方が実は正解なのです。ヨーロッパでも中世の頃は、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教は、「三つの指輪」に例えられるように、互いにそっくりな宗教だと正しく認識されていました。その後、近世以降ヨーロッパ諸国が外の世界を支配し始め、自分たちは他の民族より優位だと勘違いするようになり、三宗教は根は同じという当たり前だった事実からも目を背けるようになったのです。

人間は時代を追うごとに賢くなっていくのかと思いきや愚かになってる場合もあり、我々現代人も心して謙虚に歴史から学ばなければならないなあと思います。ただし最新の国際感覚では歴史上の過去における民族差別も遡って反省する傾向になっているので、この感覚がさらに広まると良いと思います。